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水戸地方裁判所 昭和60年(行ウ)10号 判決 1987年1月22日

原告

村田千五郎

被告

土浦労働基準監督署長白田浩

右指定代理人

櫻井卓哉

川田武

日出山武

大竹彦久

桧山登喜

柴田貞夫

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

「被告が原告に対し昭和五七年四月一四日付でした休業補償給付不支給決定を取消す。」との判決

二  被告

主文同旨の判決

第二当事者の主張

一  原告の請求原因

1  原告の業務と発病

(一) 原告は、昭和四八年八月二〇日茨城県新治郡玉里村大字上玉里二二二一番地所在の呉羽プラスチックス株式会社(以下「会社」という。)に入社し、製造第二課PI係に所属し、会社における三交替制の勤務割に従い、朝勤(午前七時から午後三時まで)三日、夕勤(午後三時から午後一一時まで)三日、一日休み、夜勤(午後一一時から翌朝午前七時まで)三日、二日休みという就業サイクルで、フィルム原反の製造作業に従事していた。

右フィルム原反は、塩化ビニリデンと塩化ビニルに可塑剤等の添加物を混合した原料の粉末をホッパーで押出機に投入し加熱して溶かし、押出、延伸、巻取の各工程を施すことによって製造されるが、原告の作業内容は、定常作業として押出機への原料の供給、ダイス掃除、原反取落し及び監視作業のほか、非定常作業として押出機の解体掃除と組立作業であった。

(二) しかるところ原告は、昭和五四年六月五日会社が実施した定期健康診断における胸部エックス線検査において「要精検」と判定され、茨城県立中央病院で精密検査を受けた結果、肺サルコイドージス(以下「本件疾病」という。)と診断され、その治療、療養等のため、労務に服することができなくなり、同年秋に退職して療養中である。

2  原告の本件疾病は、次のとおり、会社における前記業務に起因するものである。

(一) フィルム原反は、前記のとおり、塩化ビニリデンと塩化ビニルに可塑剤等の添加物を混合した原料の粉末を加熱し、溶かして製造されることから、その製造過程において塩化ビニル樹脂の熱分解生成物を発生し、原告らその製造工程に携わる者は必然的にこれにさらされることになる。

(二) 本件疾病は、右の塩化ビニル樹脂の熱分解生成物にさらされる業務による呼吸器疾患(労働基準法施行規則別表第一の二第四号2)であるから、労働基準法七五条、同法施行規則三五条により、業務上の事由による疾病に当たるものである。

(三) 原告は、右のように業務遂行の過程で有害物が発生することが明らかな業務に長期継続して勤務し発病したのであるから、業務との因果関係を肯定し、原告の本件疾病を業務上の疾病とすべきである。

3  被告の処分と不服申立経過

(一) 原告は、昭和五七年一月二九日、被告に対し、本件疾病が業務上の事由によるものであるとして、労働者災害補償保険法に基づき休業補償給付を請求したところ、被告は、原告の本件疾病は業務に起因することが明らかなものとは認められないとして、同年四月一四日付で不支給の決定(以下「本件処分」という。)をした。

(二) 原告は、右決定を不服として、同年五月六日茨城労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたところ、同審査官は昭和五八年七月一二日付でこれを棄却する旨の決定をした。

(三) 原告は、さらに右決定を不服として、同月二二日労働保険審査会に対し再審査請求をしたとこる、同審査会は昭和六〇年九月三日付でこれを棄却する旨の裁決をし、右裁決書の謄本は同年一〇月一二日原告に送達された。

4  しかし、前記のとおり、本件疾病は会社における業務に起因することが明らかであるから、これを看過してなされた本件処分は違法である。

よって原告は、本件処分の取消しを求める。

二  被告の答弁

1  請求原因1項の各事実は認める。

2  同2項は争う。肺サルコイドージスはサルコイドージス(多臓器肉芽腫疾患)のうち、肺門・縦隔リンパ節や肺実質にサルコイド病変が現れる疾病である。しかし、そもそもサルコイドージスなる疾病については、現代の医学においてもその発病原因は不明とされているものであるから、原告の肺サルコイドージスの発病と業務との間には、因果関係がないか又は不明といわざるを得ない。従って、原告の疾病が業務に起因して発生したものではないとした被告の本件処分に何ら違法はない。

3  同3項の各事実は認める。

4  同4項は争う。

第三証拠

証拠関係は、本件訴訟記録中の本件口頭弁論期日調書と一体となる書証目録の記載と同一であるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1項(一)(原告の作業内容等)、(二)(本件疾病の罹患)及び3項(本件処分の存在等)の各事実は当事者間に争いがなく、(証拠略)によれば、以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  会社においてフィルム原反は、塩化ビニリデンと塩化ビニルに次の(一)ないし(六)の可塑剤等添加物を混合した原料の粉末をホッパーで押出機に投入し、加熱溶解のうえ、押出、延伸、巻取の各工程を施して製造される。

(一)  可塑剤

アジピン酸ジオクチル

セバチン酸ジブチル

アセチルクエン酸トリブチル

アジピン酸・1・3―ブタンジオール1・4―ブタンジオール共重合体

(二)  安定剤

エポキシ化大豆油

エポキシ化アマニ油

エポキシ化ステアリン酸オクチル

ジステアリルチオプロピオン酸エステル

(三)  界面活性剤

ソルビタン脂肪酸エステル

(四)  滑剤

ステアロアマイド

(五)  充填剤

二酸化珪素

炭酸カルシウム

(六)  色剤

アゾ系有機顔料

フタロシアニン系顔料

酸化チタン

2  右製造工程のうち、原告の作業内容の詳細と作業時間は概ね次のようなものであった。

(一)  定常作業

バルクコンテナー又は紙袋によるホッパーへの原料の供給(約七〇分、このうち手作業(紙袋)による原料の投入が四回で六〇分)、ダイス掃除(約二回で二〇分)、原反取落し(四ないし八回で六〇ないし一二〇分)及び監視作業(約六〇分)

(二)  非定常作業(異常時、停電時等)

押出機のダイス部、スクリュー部の解体、掃除、押出機の筒内焼成、掃除、ダイス、スクリューの煮沸(約四時間)とダイス、スクリューの組付作業(約二時間三〇分)

3  しかして、右作業に従事する者が、暴露のおそれのある化学物質は前記原反原料並びに塩化ビニル樹脂の熱分解生成物として発生する塩化水素及び一酸化炭素であり、紙袋に入った原料を手作業によりホッパーに投入する時と作業終了時等にホッパーを掃除する時に、原料の粉末が飛散し、また、作業中にフィルム原反の内容に異常が生じた際に、押出機の稼働を停止して残原料を取除くため、押出機のダイス部とスクリュー部を解体掃除するが、この時には塩化ビニル樹脂の熱分解生成物が発生する。

会社工場における原告の作業現場を再現して原料(紙袋)投入時の浮遊粉塵を測定した結果では、許容濃度未満のものではあるが、前記の原料粉末による粉塵の発生が認められ、また、押出機の解体作業中と解体作業直後にガス検知管法により測定した結果では、一酸化炭素は検知されなかったが、許容濃度には達しないものの塩化水素ガスの発生が認められた。

4  右作業現場における粉塵及び塩化水素ガスへの暴露は、常時継続するわけではなく、また作業者の位置、作業姿勢や作業の仕方により程度が異なるものであるが、原告は就業期間中、多かれ少なかれ、これらの物質にさらされていたものである。

二  右事実によれば、原告は、塩化ビニル樹脂等の合成樹脂の熱分解生成物(塩化水素)にさらされる業務(労働基準法施行規則(以下単に「規則」と略称)別表第一の二第四号2)、昭和五三年三月三〇日労働省告示第三六号(労働大臣の指定する単体たる化学物質にさらされる業務による疾病を指示する告示)に掲げる化学物質(塩化水素及び塩化ビニル)にさらされる業務(同表同号1)、化学物質等(本件原料粉末等)にさらされる業務(同号8)及び粉じんを飛散する場所における業務(同表第五号)に従事し、その就業期間中に発病したものということができる。

三  そこで、本件疾病が原告の従事していた業務に起因するものであるかどうかについて判断する。

1  (証拠略)によれば、本件疾病は、全身の臓器又は組織に類上皮細胞肉芽腫が形成されることを特徴とする疾病「サルコイドージス」のうち、肺門・縦隔リンパ節や肺実質にサルコイド病変(類上皮細胞肉芽腫)が現れた場合を総称するものであること、しかしてサルコイドージスの病源体については、これまで結核、非定型抗酸菌、ウイルス、マイコプラズマ、ノカルジア、松の花粉等いろいろ唱えられてきたが、いずれも支持されず、現在の医学でも、明確な原因は不明とされ、一つの病源体によって発症するというより、種々の原因、病因の重なりによって起こる症候群であると考えられるようになった段階であることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  まず、塩化ビニル樹脂の熱分解生成物である塩化水素並びに塩化ビニル粉末自体にさらされる業務と本件疾病との間の因果関係について検討する。

(一)  規則別表第一の二第四号2は、塩化ビニル樹脂等の「合成樹脂の熱分解生成物にさらされる業務による眼粘膜の炎症又は気道粘膜の炎症等の呼吸器疾患」を定型的に因果関係があるものとして掲げている。そして、右の「眼粘膜の炎症」又は「気道粘膜の炎症等の呼吸器疾患」とは、その規定の趣旨に照らし、塩化水素等の合成樹脂熱分解生成物の刺激作用によって眼粘膜又は肺、気管支、咽頭等の気道粘膜に生ずる炎症性疾患をいうものと解するのが相当である。

しかるところ、サルコイドージスは、前認定のように、多臓器等に類上皮細胞肉芽腫が形成されることを特徴とする全身性の疾患であるから、その病変が眼粘膜や呼吸臓器に発現したものであっても、同表第四号2に掲げる疾患とは明らかに種類、性質を異にするものである。

従って、本件疾病は規則別表第一の二第四号2所定の疾病には該たらないものといわなければならない。

(二)  規則別表第一の二第四号1に基づき前記告示において労働大臣が指定した単体たる化学物質としての塩化水素(塩酸)に対応する障害は、「皮膚障害、前眼部障害、気道障害又は歯牙酸蝕」であり、右告示における指定の趣旨に徴し、塩化水素の酸化作用による右各器官の直接の障害を主たる障害とするものと解され、本件疾病が該当しないことは明らかである。

(三)  前記告示において労働大臣が指定した単体たる化学物質としての塩化ビニルにさらされる業務による症状又は障害として定型的に掲げられているのは、「中枢神経性急性刺激症状、皮膚障害、麻酔、レイノー現象、指端骨溶解又は門脈亢進」であって、これらも明らかに性質を異にし、本件疾病は右指定の疾病には該当しないものといわなければならない。

(四)  また本件疾病は、前記のとおり、医学的に原因不明の疾患とされているものであって、(証拠略)によれば、会社工場において原告と同じ作業をしてきた他の従業員らに本件疾病又は類似の疾病が発生した例はないことが認められるところでもあり、原告が塩化水素、塩化ビニルにさらされる業務に従事していたことと本件疾病との因果関係は、証拠上これを認めることはできない。

このことは、本件フィルム原反原料に含まれる塩化ビニリデンや可塑剤等塩化ビニル以外の物質にさらされる業務に従事していたことと本件疾病との間の因果関係についても同様であり、証拠上これを認めることはできない。

3  次に規則別表第一の二第五号の「粉じんを飛散する場所における業務」との関係については、同表所定の疾病は、じん肺症又は肺結核等所定のじん肺症との合併症であり、これらに本件疾病が該当しないことは明らかである。

4  本件疾病の内容は前示のとおりであるから、原告の業務との因果関係は証明されず、従って、規則別表第一の二第四号8及び第九号の関係においても本件疾病は「業務に起因することの明らかな疾病」に該当しないものといわなければならない。

5  そうすると、結局原告の本件疾病は労働者災害補償保険法に定める業務上の疾病とは認めることができないものであるから、同法に基づく原告の休業補償給付請求に対し不支給を決定した本件処分に違法はないものというべきである。

四  よって、本件処分の取消しを求める原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡邉惺 裁判官 近藤壽邦 裁判官 達修)

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